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カテゴリ:こだわり( 4 )


2008年 07月 05日

枯渇



地球温暖化の原因は人間が作り出す二酸化炭素だと誰が言い出したか分からんが、世の中は決め付けている。でもって、その二酸化炭素を減らすには、人間の活動を抑制しなければならないらしい。行動の抑制とはどんな事だ。例えば休日は家でゆっくりせよ。その時はエアコンは厳禁だ、扇風機にせよ。テレビは付けずに、ぼーっと空でも眺めよ。カメラはもちろんデジタルにせよ。過日D700とやらが発表されたが、D200のどこに文句があるんだ。ほんの2年前はやんやんやの大喝采ではなかったのか?カメラは確かに進化しているが、果たして人間はたかが2年でどれだけ進化したものか。俺なんて前進どころか後退してる。さてさて話を元に戻すと、カメラだって、レンズだって、フラッシュだって、みんなみんな辿っていけば石油だ。撮影の為に出向くにしてもガソリン使う。今こんなくだらん偽言を書くのも資源の消費。考えてみると世の中のくだらん行動はすべて最終的には資源の消費となり、二酸化炭素の排出に繋がっている。で、今その二酸化炭素をどうにかして削減しなければならないらしい。さもないと、さもないと、地球が滅びてもう写真を撮るどころではなくなるらしい。そんな事考えていると、ふっともっともっと恐ろしい思いが脳裏を過ぎった。昨今の次々と高性能化するデジタルカメラの普及には、それはそれは全世界のフォトグラファー全員驚愕してしまう、それは恐ろしい結末が待っていることに。デジタルカメラはフィルムのように際限なくシャッターを切れる(まあ、メカ的に上限があるが)。所かまわず何時だってどこだって、心置きなくシャッターを切ってその撮った写真を確認できる。フィルム時代はそうは行かなかっただろう。高価なリバーサルフィルムをカメラに装填したならば丹念に丹念に構図、絞り、ピントを決め、精魂込めてシャッターを切っていたはずだ。奮発してフィルム10本も使えば、あっという間に懐はクールになっていた。しかし、デジタルはもういつだって連射連射。「今日は2000枚しか撮れなかったわ」。おいおい2000枚だと、24枚フィルム換算で約80本分1本700円としたら約56000円、そして現像代とプリント代まで合わせると一体いくらになるんだ。しかしデジタルカメラで日々夢中で連射連射している人々。それは一体何を意味しているのかというと、写真にとってもっとも重要な、限りある貴重な資源を無駄にしているのだ。その大切な資源とは一体なんぞやと言うと、それは「構図資源」だ。構図は無限にある時代はカメラのデジタル化で終わってしまったのだ。フィルムで1年分かかっていたシャッター回数も、デジタルで下手をすれば1日でクリアしてしまう。連射数だってどんどん増加し、8コマ/秒なんぞとんでもない回数も撮れる。世界の人々がそれだけの写真を無駄に撮りまくっていたらどうなる。もう撮るものがなくなってしまうではないか。構図の枯渇だ。しかもネット世界で構図を公開する環境も整っている。誰かがすばらしい1枚の写真を公開すればもうそれでおしまいなのだ。後から似た写真を撮っても「ああ、あれはね~あそこのあの人が撮った写真の真似じゃん」と」揶揄されるだけだ。頼む。次々に新機種を出すのもいいが、メーカーも構図資源の枯渇の問題を少しは考えて欲しい。だから、これから出す新しいカメラは100枚までとか上限を設けてくれ。100枚撮ったら、はいおしまい。そうすれば中古カメラ屋さんで「大特価あと3枚も残ってすばり1000円」なんて商売が始まるであろう。1枚1枚精魂込めて丹念にシャッターを切る人が増え、果たしてどんな写真が生まれるか。非常に楽しみだなんて考えて見て、どうしてデジカメは空シャッターが切れないんだろうと今、気がついた。云。
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by ilove-dart | 2008-07-05 23:16 | こだわり
2008年 06月 29日

エコキャンペーン





このところ世間ではどこへ行ってもエコエコと大層な権幕で叫ばれてる。ではエコとはなんぞやとヤフ辞書を見ると、エコロジー、生態学とあった。「生物と環境との関係、個体間の相互関係、エネルギー循環など、生物の生活に関する科学。動物生態学・植物生態学や個体群生態学・群集生態学などに分かれる。」らしい。何の事やらさっぱり分からん。果たして知らないの俺だけか?いやいや、周りの連中もきっと何の事やら知らないに違いない。という事はなんとなく、訳も分からず周りにつられてエコとそう言ってる訳であって、エコと叫んでおけば人として正当になれるとなんとも不正直な世の中である。ところが最近ようやく薄っすらぼーっとではあるが、エコはとは地球にやさしい生活を営めばとりあえず御の字ではないかと勘ぐるに至った。そこで、日々浸るカメラについてエコの観点から少し案出してみたが、昨今のカメラ業界のデジタル化という物は、まことにもってエコではないか。なんと言ってもフィルム要らぬ、あまりプリントする事も無く紙も節約できる。一度機材を揃えてみれば、必要なものは僅かな電気代だけ。他者にはその場に居合わせずとも写真にする事により、わざわざ油を消費し現場に出向く必要もない。いやいやフォトグラファーは誠にもって地球に優しい存在なのである。がしかし、当の本人はエコなんて意識無くカメラ享楽に浸っている。ここはフォトグラファーのISOアップ(好感度)の為にも積極的にエコしようではないか?そこで、ぜひカメラメーカーにこんなキャンペーンを提案してみたいと思う。その名も「カメラエコバックキャンペーン」。キャッシュなんてバックしてもらっても無意味だ。カメラを購入するともれなく2者選択できるキャンペーンだ。選択できる物は1.Wレンズセットプレゼント、もしくは、2.特製エコバックプレゼント。このどちらかを選んで貰えるのだ。しかし、この時代の趨勢からして、ここで物欲に駆られ1などを選択する奴は恐らく皆無であろう。したがって提案した手前汗顔であるが、このキャンペーン自体全く持って成り立たないであろう。カメラ屋さんでメーカーの地球環境に対する寛厚さをひたすら説かれ、じゃ、僕は1のWレンズセットで、などと言えたものか!そんなエコに反する行為など、大馬鹿野郎である。界隈でこの特製エコバックを此見よがしと振る舞い、世間からエエ子(eco)だねぇと慕われている自分を想像しつつ、空を見上げにっこり。
大塚愛画像
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by ilove-dart | 2008-06-29 23:07 | こだわり
2008年 06月 20日

拘泥





自分はどちらかというと、拘泥するほうだ。いや、かなり拘泥する方だ。日々様々な場面で拘泥してしまうが、もっとも時間を割き、思案し、念じる場面は、やはりなんと言っても構図を決める時分だ。例えば夏の日本海の海を眺める。構図作りには絶好の風景だ。空と海の境目に見惑う青い海面。右には小さな島がある。中央に小さく見えるのはタンカーだろうか、動きを止めたようにゆっくり進んでいる。手前にはまぶしく太陽光を反射する砂浜、そして、左には高く切り立つ岩が露出する。全てを取り込みたい気持ちもあるが、ここは冷静にじっくり念入りに構図を熟考する。最初はあの右の島をなんとかせねばと、右へ移動。すると島が次第に移動してゆく。適当な位置で立ち止まり確認。島の位置は決まったが、今度は左の岩が不自然だ。そして、さらに右に寄ったことによって、砂浜が途切れてしまった。焦点距離を変えればいいのだが、やはりワイドで撮りたい。しかし、どれもこれも自分の意図するようには組み立てられない。今度は膝を曲げ、目線を下げて見る。ちょうど空気椅子に座る格好だ。他人からは変な奴と見間違われるかも知れぬが、カメラを抱えてるから構図でも作成してるのだろうと理解してもらえるだろうか。さて、目線が下がるだけで大きく雰囲気が変わるのが写真の悦楽だ。意外とこの目線下げ空気椅子姿勢は、どこの場所でも効果的だ。ようやく自己の拘泥も落ち着きを見せ始め、シャッターを押す手前まで至った。が、今度はあのタンカーが見えない。しまった、もたもたしていたせいでどこかへ去ってしまったようだ。ワンポイントの役目としては申し分ない被写体であったが、これも拘泥の為、仕方ない。取り急ぎ撮ろうかとしていると、なんだなんだ、若い今風の格好をした三人組が、なにやら肉焼機と思しき機材を設置し始めた。虹色の娯楽防水布を広げ、3人は手際よい分担作業を開始した。たまらん。たまらん。因果だな。己の頭で描いたリッチな海岸の情景は消え去り、そこにはまさしく昨今の砂浜情勢のごとく有様に変わり果てた。こうなればやけくそだ。それならば、あの連中を構図の主役に至らしめてやる。おい主役頼んだぞ。今度の構図作りはあの連中にいかに悟られず、いかに自然体に絵にするかが最重要課題だ。もちろんこんなところでは空気椅子姿勢の使用は絶対に厳禁だ。もし奴らに見つかりでもしたら、連中は自分を肉のネタ(タレ)にするかも知れぬ。まあ、それならそれで、こっちには証拠を捕らえるカメラを持っている。暴挙に出るのであれば、連射するまでだ。しかし、相手は3人、こっちは一人、しかもこっちは大切なカメラを抱えてる分更に半減。確実に不利だ。しかし待てよ。ここは逆に空気椅子姿勢を取る事によって、笑いを誘い、なんだ面白い奴と、一気に仲良しになるかも知れぬ。そうなれば、あの肉にもありつける可能性もある。さて、どうするべきか、さらにさらに拘泥は続く。



なお、この写真は、カップルが服のまま海水浴を満喫している所を捕らえたものだ。ちなみに約束通りレタッチはしていない。



煮物
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by ilove-dart | 2008-06-20 23:15 | こだわり
2006年 06月 24日

レタッチ再考





過日にレタッチの封印宣言をしたばかりで、言い訳がましく大変恐縮であるが、いざレタッチが使えないとなると、実に寂しく悲しく感じてしまう。平生苦楽を共にし、自分の手となり足となり活躍してくれたレタッチ。自分の体にはもうレタッチが完全に染み付いていた。思うに、写真を撮るという行為自体は、単にレタッチという目的への手段に過ぎなかったのはないか。自分はこれまで、写真撮影行為そのものを趣味と感じ、勤しんできたつもりであった。しかし、レタッチを封印する事によって、突然目的を失ってしまったのだ。写真撮影行為は、ただの材料集めに過ぎなかったのだ。そうか俺は写真が趣味ではなく、レタッチが趣味だったのだ。この3年越しの気づきに、思わず狼狽した。失うことによって初めて露呈する事実。何度シャッターを切っても空しく感じてしまう理由はこれだったのか。写真を撮り、役目のように写真画像をPCへ転送し、それを眺める。そして、画面横を見やれば、なにやら、操縦桿のような操作する部分があり、それを矢印を合わせ稼動させれば、画像が見る見るうちに千変万化して行く。自分はこれがやりたかったのだ。一度は後戻りしフィルムカメラも使っては見た。確かにレタッチ前提でないことから、シャッター数激減、構図の閾値向上等、撮影行為に多少の変化は見られたが、撮影行為自体が目的ではなかった理由から、なんというか、だからどうしたというか、なんとも言えぬ違和感を覚えていた。さらに、フィルムであってもPCへ転送すればデジタル画像。ぼーっとしていると、誤ってNXなどで調整してしまいそうになった事もある。レタッチできない状況は、自分にとって、写真を撮るなと言ってるに等しいということなのだ。レタッチ最高っ!



この写真は、撮影中突然お腹の調子が悪くなり、トイレを探すが一切見当たらず、仕方なく草むらで事を済まそうと思いズボンは脱いだが、緑の草でお尻がスパッと切れ、それを誰かに咎められたと勘違いし、慌ててごめんなさいとシャッターを切った瞬間である。どんな状況に置かれても、構図決めは怠らない自分によしよしと、ボーナスでGX200をプレゼントなど検討するも、どうしても手に入れたい陶磁器があり、しかしとてもボーナスで買える値段でなく、ここがぐっと我慢したいが、するといつの間にかお腹の調子も復調して、因縁を考えるに、お昼に高カテキン茶を10デシリットルも飲んだのが悪かった。
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by ilove-dart | 2006-06-24 23:14 | こだわり