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2006年 06月 24日

レタッチ再考





過日にレタッチの封印宣言をしたばかりで、言い訳がましく大変恐縮であるが、いざレタッチが使えないとなると、実に寂しく悲しく感じてしまう。平生苦楽を共にし、自分の手となり足となり活躍してくれたレタッチ。自分の体にはもうレタッチが完全に染み付いていた。思うに、写真を撮るという行為自体は、単にレタッチという目的への手段に過ぎなかったのはないか。自分はこれまで、写真撮影行為そのものを趣味と感じ、勤しんできたつもりであった。しかし、レタッチを封印する事によって、突然目的を失ってしまったのだ。写真撮影行為は、ただの材料集めに過ぎなかったのだ。そうか俺は写真が趣味ではなく、レタッチが趣味だったのだ。この3年越しの気づきに、思わず狼狽した。失うことによって初めて露呈する事実。何度シャッターを切っても空しく感じてしまう理由はこれだったのか。写真を撮り、役目のように写真画像をPCへ転送し、それを眺める。そして、画面横を見やれば、なにやら、操縦桿のような操作する部分があり、それを矢印を合わせ稼動させれば、画像が見る見るうちに千変万化して行く。自分はこれがやりたかったのだ。一度は後戻りしフィルムカメラも使っては見た。確かにレタッチ前提でないことから、シャッター数激減、構図の閾値向上等、撮影行為に多少の変化は見られたが、撮影行為自体が目的ではなかった理由から、なんというか、だからどうしたというか、なんとも言えぬ違和感を覚えていた。さらに、フィルムであってもPCへ転送すればデジタル画像。ぼーっとしていると、誤ってNXなどで調整してしまいそうになった事もある。レタッチできない状況は、自分にとって、写真を撮るなと言ってるに等しいということなのだ。レタッチ最高っ!



この写真は、撮影中突然お腹の調子が悪くなり、トイレを探すが一切見当たらず、仕方なく草むらで事を済まそうと思いズボンは脱いだが、緑の草でお尻がスパッと切れ、それを誰かに咎められたと勘違いし、慌ててごめんなさいとシャッターを切った瞬間である。どんな状況に置かれても、構図決めは怠らない自分によしよしと、ボーナスでGX200をプレゼントなど検討するも、どうしても手に入れたい陶磁器があり、しかしとてもボーナスで買える値段でなく、ここがぐっと我慢したいが、するといつの間にかお腹の調子も復調して、因縁を考えるに、お昼に高カテキン茶を10デシリットルも飲んだのが悪かった。
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by ilove-dart | 2006-06-24 23:14 | こだわり


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